1. 良書に求められるモノ
1.1. 有益なのは体験談
オカルト(スピリチュアル)関係の実用書(⇔ 教養書)で大切なのは次:
「XXXの状況で、YYYをやると、ZZZが起こった」を重視する。
つまり、体験談が豊富で理屈をこね回さない本が良い。
オカルト(スピリチュアル)的な出来事のメカニズム(原理)は、憶測にならざるを得ない。 なので、原理の追求は憶測の積み重ねでしかない。 そこに重点を置く本に実用的な価値はない。 我々にとって有益なのは「どういう状況で何をやったらどうなったか?」という体験談。
1.2. どう有益か?
体験談は「本当に可能なんだ!」という確信/自信を与えてくれる。
「引き寄せ」に限らず超常的な現象を引き起こすうえで大切なのは確信/自信。 そのことは、身元の確かな(大学教授など)複数のオカルト実践者が実体験として報告している。1.3. プロセスを無視して実現する
「引き寄せ」界隈で言われる「願いはプロセスを無視して実現する」は、おそらく正しい。 過程を無視して結果が実現される。
例えば、米国防総省の文書「Controlled offensive Behaviour」は意識の力で有機体を分解/再構成できる可能性に言及する(1) が、意識で有機体を分解/再構成するとき、化学的なプロセスの1つ1つを詳細に追求しイメージするわけではない。 望む結果(例. 自分の体の組織が分解/再生された状態)だけをイメージして実現させる。(2)(1) つまり超能力で自分の顔や体を変えれる。 すなわち、美人になる・薄毛を治す・身長を伸ばす・病気や怪我を治すなどの「引き寄せ」が可能ということ。
(2) 狙いを細分化して実現させるのも可能。 免疫細胞のうち特定の種類のものだけを念力で増やせるのを示す研究が名著『ホログラフィック・ユニバース』で紹介されている。プロセスを無視して実現するのだから、理屈は不要。
1.4. メソッドは重要じゃない
オカルト(スピリチュアル)の実践においてメソッド(手法)は必須ではない。 基本的には、結果を「意図」するだけでいい。 メソッドはその基本を行いやすくする方便に過ぎない。
「これで確実に叶う!」という決定的なメソッドを確立しようとして理屈をこねまわす(引き起こしたい現象の原理を追求する)のは、楽しくはあっても非生産的。 実践的ではない。
1.5. オカルトは科学を嫌う
オカルト(スピリチュアル)は科学を嫌う。 超常現象の原理を理知的に追求するほど、生じる現象がショボくなる。
ハワイの魔術「フナ」は、かつて「溶岩の上を歩く」とか「呪いで人を殺す」といった純然たる魔法が可能だった。 そのことは信頼性の高い人物(*) が報告している。 ところがハワイが欧米の科学文明に染まった19世紀から、フナは衰退。 今では魔法レベルの超常現象を行える人はいない(はず)。 インドネシアだったかアフリカだったかの魔術も同様。
超能力も同じく。 エピソード(逸話)の段階では派手な(実用レベルの)話が多く存在するが、そういうエピソードを研究対象にする(科学理論で説明を試みたり統計学を持ち込んだりする)と、途端にスケールが小さくなる。「動物実験で統計学的に有意な結果が確認された」という程度だったり、「(ショボい目的の)再現性を確認できなかった」という結果に終わったり。
イウォーク師匠も、細かく考えるのをやめると「引き寄せ」の効果が出始めたと報告する。
科学的な追求は実益の足を引っ張ると言える。
1.6. 根拠は「原理」より「結果」に求めよう
「引き寄せ」が可能だと信じるには、なんらかの根拠が欲しい。 でも、その根拠は引き寄せの「原理」ではなく「体験談(状況・やったこと・結果)」に求めるべき。
超常現象のメカニズムは憶測でしかない。 量子力学うんぬんもパラレルワールドも仮説の段階。 そんな不確かなものを対象に「こうなのかな? それとも...」とあれこれ考えるのは生産性が低い。 遊んでいるのと同じ。
「わからないもの」は分からないままでいい。
2. 価値が低い本
次は、オカルト/スピリチュアル系の実用書として価値が低い本の例。
- 理論も体験談も乏しく、希望を持たせる表現に力を入れる本。 読んだ直後に一時的にモチベが上がるだけ。
- 体験談を提示せず、根拠の追求あるいは独自理論の展開に文字数を費やす本。 推測に推測を重ねているだけ。
- 細かい手法の紹介に文字数を費やす本。 細かい手法は各自で考えればいい。
「引き寄せ」などの実用書で意味があるのは体験談のみ。 体験談をしっかり載せているかに注目しよう。